■「まだ足りん」って言われ続けた僕の原点
僕が完璧主義になったのは、きっと親の影響が大きい。
自分では、もう限界やってくらい頑張ってたのに、「なんやそれで終わりか」みたいに言われてきた。
「もっとできるはず」
「その程度で満足してるようじゃアカン」
そうやって育つうちに、だんだんと自分に対しても「完璧じゃない=失敗」と思い込むようになってしもた。
何をするにも「100点取らな価値がない」って思いながら生きてきたんやと思う。
■国家試験の“地獄のような勉強”と、やめられへん完璧主義
あるとき、僕は難関国家資格にチャレンジした。
試験範囲は、とんでもなく広い。
普通の人やったら「ここは確実に取る」「ここは捨てる」って要点を絞って戦うやろう。
でも僕は違った。
テキストの隅から隅まで、ぜんぶ把握せな気が済まんかった。
どこから出題されるかわからんやん。
「落としたらアカン」って不安の声が、頭の中で鳴りっぱなしやった。
非効率やってわかってても、手放せん。
「全部わかってないと受からん」って、自分に言い聞かせてた。
案の定キャパオーバーで自滅。
■やっとわかった。「それ以上」はできへんのや
最近になって、やっと思えるようになった。
「自分が限界までやったなら、それでええ」って。
例えば、人間関係。
職場とかプライベートで、みんなに好かれようとして、
100%の力を使って“良い人”を演じてる。
それでも嫌われる人には嫌われる。
ほんま、どうしようもないんよな。
そこで思ったんよ。
これが俺のMAX。それで無理やったら、もうしゃあない。その人とはムリや。
ってな具合に思えると、余計な事を考えなくてすむ。
来るもん拒まず、去る者追わず精神やね。
でないと、心がもたん。
■完璧な親じゃないとアカンと思ってた頃の僕
完璧主義って、仕事だけやない。
子育てにも、顔を出す。
最初の頃は、「ちゃんとした親」でおらなアカンと思ってた。
子どもの前ではミスせんように。
怒らんように。
すぐ気づいてあげられるように。
的確なアドバイスができるように。
……って、できるかぁ!んなもん。
今では、「実はお父さんも昔な、怠けて課題サボったことあって先生にめちゃくちゃ怒られたんよ」とか、「お父さんも子どもの頃、感情コントロールできんくて友達にきつい言い方してもうて後悔したことあるんよ」みたいに、僕自身の失敗もそのまま伝えるようにしてる。
完璧な親であろうとするより、失敗をどう受け止めるかを見せるほうが大事なんちゃうかなって、今はそう思ってる。
■今の僕は「完璧じゃあない僕」もまあまあ好きで
まだ完全には抜け出せてへんけど、
完璧主義を“手放す練習”は、ちょっとずつできてると思う。
「今の自分が出せる力、これがMAXや」って認められるようになってきた。
「間違っても、誰かに嫌われても、それで俺がなくなるわけやない」って思えるようになってきた。
完璧じゃあない僕、まあまあ好きやで。
むしろ、そのほうが自然で、無理してへん自分でいられる気がする。
💬あなたにも「やめられへん病」ってありますか?
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
僕は今も、完璧主義と折り合いをつけながら生きています。
「〜すべき」「〜でなければならない」といった声が、自分の中に強く響くことはありませんか?
そういった声に飲まれすぎず、自分のペースで歩むことができると、少し楽になれるかもしれません。
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完璧を求めすぎてしんどかった経験
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少し肩の力を抜けたきっかけ
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親としての「ちゃんとせな」に苦しんだこと
同じような想いを抱えている方がいれば、
あなたのお話もぜひ教えていただけるとうれしいです。